三浦裕史のホームページ          新版『近代日本軍制概説』を刊行予定。

■近代日本の政治法制について関心があります。■2021年06月06日記事参照。

高照神社 は吉川神道に基づくというが、

1.具体的に、どう基づいているのか、ヨクわからない。但し、
●社殿配置が墓所も含め東西一直線であること、
●本殿内部中央に宮殿厨子を設けること、
●社殿から離れた位置に墓所(廟所)があること
墓所において、墓の後ろに神号碑を置くこと(2参照)
は注目してよい。

2.葬送図絵から察するに、八角石柱の位置が不変なら、現在、拝墓とされているものが、祭神津軽信政の埋葬墓である。現在、本墓とされているのは、信政の神号碑である。神号碑≠埋葬墓。尚、墓所外南方の森岡氏墓石には「輔衛霊社」「津軽家執事森岡民部藤原元隆墓」とあり、他に石柱がないから、こちらは神号碑=埋葬墓と言えるのではないか。
 
3.墓は四角形の、神号碑は八角形の石柱。
●墓の銘は正面の「弘前城越中守藤原信政墓」のみ。
●神号碑の銘は正面に「高岡霊社」、右に「宝永七庚寅年」、左に「十月十八日」、背面に「津軽越中従五位下藤原朝臣信政」。
 
4.神号碑の銘は本来のものではない。信政が吉川家から与えられた神号は「高岡霊社」ではなく「高照霊社」だった。神号碑の銘文は「岡」の字が後から嵌め込まれたようになっている。神号の変更は神社にとって重大事件と思われるが、その経緯はどうもハッキリしない。明治時代に入り、「天照大神」を憚っての措置というが、詳しいことは公表されていないようだ。