#日本史
(削除予定)
1.県内東端の三本松駅から歩く。10分かからない。線路脇の高台。 2.平安期のお地蔵さんで知られる。近くの室生寺から伝来。光背は向こうに残っているそうだ。それだけ置いてくるのも変な話。 3.縁日に公開。じっくり拝観できるのは有り難い。但し、眼下を…
1.象山、宮瀧、夢のわだといった萬葉名所が周囲にある。 2.たいそう久しぶりの参拝。西行ではないが、「命なりけり」。 3.萬葉の吉野と桜の吉野は交わらない。それで良いと思う。
1.稲田草庵からの由緒を主張する。蓮如が参詣したり両本願寺に分骨したりしているから、本当に親鸞遺骨を伝えてきたのだろう。 2.本堂(阿弥陀堂)と境内中央に廟所がある。それが寺の特色となっている。 3.江戸時代初期には東本願寺と友好関係にあり一門…
1.どういう経緯かは知らないが、門徒の拠点は遠く伊勢一身田に移った。 2.親鸞は草深い田舎でどげな暮らしをしていたのか。体は丈夫だったようだ。 3.真岡鉄道がツラいなら、親鸞遺跡バスツアーで行くしかない。
1.日蓮教団・日興門流・日目派・日道系の本山。教団は分裂が激しいので、こういう分類になる。 2.五重塔と日蓮遺文は重要文化財。 3.広大な墓地は巨大な施設を維持するためにあるのだろう。
1.阪神の尼崎駅から徒歩5分。境内は狭いが寺観整い、裕福そうに見える。 2.日蓮直筆本尊を二幅所蔵。日興の添書が貴重。もともと甲斐か駿河にあっただろう本尊が、いかなる経緯でか、摂津へ。 3.三光堂本殿(重文)は桃山期の神社建築らしいが、拝見でき…
1.駅から歩くとチョットしんどい。北口には大病院がある。 2.裏の名神高速が少々やかましいが、丘の中腹に鎮座し環境は良い。 3.昔は大神宮と呼ばれていたが、明治以降、現社名となった。 4.本殿は十年以上前に不審火で全焼。その三年後に再建した。桃山…
1.矢田駅から歩いて10分弱。境内西側に樹叢を有する。 2.氏の名を冠する神社名は珍しい。須牟地は地名の住道か。 3.開扉日には参詣の人がポツポツやって来る。
1.建造物は近世以降のもの。重文の本堂は補修を要す。 2.三重塔は、少し離れた田圃や橋の上から遠望すると良い。 3.時々、仏像の特別公開を行う。顔の端正なものがある。 4.十二神将は像高が案外低い。描写は躍動感あり。 5.僧形の人を全く見かけなかっ…
1.由緒沿革から言えば、興門系の単立寺院であっても良さそうだ。秋のくいもの市が有名。 2.開基は甲州から移住した秋山氏。面白いのは、本尊が寺の所有ではなく、秋山家の家宝だったこと。返す返さないで揉めたりした。 3.中世以来の秋山家文書は、別の家…
1.日興門流の古刹で、御遷化記録を所蔵。日蓮宗門史の最重要史料。 2.だいぶ前になるが参列。良い場所で拝見することができた。 3.その際お世話になった近藤惠正上人も平成21年夏に遷化せられた。合掌。 4.近年は「信長公黄葉祭り」で少し有名に。 (パ…
1.鳥海山は雄大だが、もう少し、頂角の鋭さが欲しい。 2.山形県内を移動すると、月山と鳥海山の風土的意義がよく分かる。 3.古文書の異例さは一大事の緊迫感を伝える。ところで、陸奥守義時は、将軍不在なのに、誰の意向を奉じたのだろうか。 出羽國両所…
ネットで直接、ダウンロード・印刷ができます。 内容に新味はありません。 別に面白くもありません。
(古里へ 廻る六部の 気の弱り) 一番多いのは、 【外国研究者が、五十歳代以降、外国研究から日本研究に転じる】 という例だろう。 (2020年08月30日記事を移掲)
(清水幾太郎、1977)
まだある。「なかみ」「ねらい」……
気をつけましょう。
「軍制研究の三雄」と呼びたい。
地勢的に近似した国としてイギリスを挙げることが多いが、 日本は、イギリスと異なり、植民地を持たないので、 イギリスは参考にならない。
参照、大東亜戦争ノ呼称ヲ定メタルニ伴フ各法律中改正法律(昭17法09)。
1.具体的に、どう基づいているのか、ヨクわからない。但し、 ●社殿配置が墓所も含め東西一直線であること、 ●本殿内部中央に宮殿厨子を設けること、 ●社殿から離れた位置に墓所(廟所)があること ●墓所において、墓の後ろに神号碑を置くこと(2参照) は…
旧軍将校某氏の至言。
批判されるべきは、拷問した側であって、拷問された側ではないだろう。 拷問自体の苦痛、そして生き延びた安堵と生き残った苦悩を、当事者の身になって考えることが、少しはあっても良いのではないか。
芦書房、昭和39年刊。昔、先生から頂戴した。 何度かお目に掛かり、御教示を賜った。 枢密院がどういう所か、少し判った気がした。 某顧問官に関する秘話もお聞きした。 博士論文の出版をお奨めしたが、肯んぜられなかった。 こういう本を文庫版で出したら衝…
他に田畑皆無の菅浦側は必死だったのだろう。 昔は船で今は車で、菅浦から現地へ出向き、耕していると聞く。
栃木県立博物館、2010年刊行の図録。史料豊富で大変充実した内容。 黒羽は現在、町村合併で栃木県大田原市に属する。 黒羽藩では、家臣の力が相対的に強く、殿様の強制隠居、持参金目当ての養子取り、一部家臣の藩退去など、話題は尽きない。 増業さんも千両…
豊前の式内社は、ここと宇佐神宮だけ。 起源は古く、延喜式より遙か前、風土記に記述がある。最澄も渡唐の前に詣でたという。 悲願は一ノ岳復活だろう。削った分を積み上げるということ。中国の説話に愚公移山というのがあるが、気長にやれば、いつかは達成…