ドイツを例としたが、イタリアでも、フランスでも同じこと。
「日本人の外国研究者が日本語で書く論著は、当該外国語に翻訳したら、当該国で、どの程度通用するだろうか」ということ。
それにつけても、清水幾太郎氏の至言が思い出される…。
日本人の外国研究者が日本語で書く論著は、
1.日本人向けの分かりやすい紹介・解説に徹するか、
2.研究として通用するレベルとし、併せて、翻訳して当該国で発表するか、
の二者択一とすべきだろう。
(2の場合、逆に、外国語で書いて日本語に翻訳する、ということも考えてよい)