三浦裕史のホームページ          新版『近代日本軍制概説』を刊行予定。

■近代日本の政治法制について関心があります。■2021年06月06日記事参照。

妙蓮寺(静岡県富士宮市)についての所感。

1.表門は中世武士の居館を思わせる。表門と玄関に朱色が用いられている。

2.江戸期以降、近くにある大石寺の影響を受けてきた。戦後、その末寺となる。

3.富士五山の一つだが、他寺に比べ強烈な主張を展開してきたわけではない。それが穏やかな寺観に表れている。

 

慈恩寺(山形県寒河江市)についての所感。

1.建造物は近世以降のもの。重文の本堂は補修を要す。

2.三重塔は、少し離れた田圃や橋の上から遠望すると良い。

3.時々、仏像の特別公開を行う。顔の端正なものがある。

4.十二神将は像高が案外低い。描写は躍動感あり。

5.僧形の人を全く見かけなかった。不思議だ。

 

讃岐本門寺(香川県三野町)は、塔がほしい。

1.由緒沿革から言えば、興門系の単立寺院であっても良さそうだ。秋のくいもの市が有名。

2.開基は甲州から移住した秋山氏。面白いのは、本尊が寺の所有ではなく、秋山家の家宝だったこと。返す返さないで揉めたりした。

3.中世以来の秋山家文書は、別の家(他宗信徒)に所蔵されているという。面子を懸けて買い取るべきだろう。

4.江戸時代には、北山本門寺静岡県富士宮市)との裁判に負け、その末寺扱いされたらしい。

5.寺観は整っているほうだろう。しかし、塔がほしい。五重塔は無理かも知れないが、三重塔か多宝塔ぐらいは。



西山本門寺(静岡県富士宮市・旧芝川町)の虫干会は日代上人命日の4月18日。

1.日興門流の古刹で、御遷化記録を所蔵。日蓮宗門史の最重要史料。
2.だいぶ前になるが参列。良い場所で拝見することができた。
3.その際お世話になった近藤惠正上人も平成21年夏に遷化せられた。合掌。
4.近年は「信長公黄葉祭り」で少し有名に。
(パンフレットの誤字が長年、直っていない。作り直した方が良いのでは。)

小村神社(高知県日高村)に関する所感。

1.本殿背後の杉が立派。仰ぎ見る感じ。

2.国宝大刀は保存状態が良過ぎ、かえって模造品のような気がした。

3.お祭りは神輿が車で移動。

4.社紋は「丸輪に小の字」。

5.授与品は受けられなかった。残念。

 

廣瀬大社(奈良県河合町川合)は紛う事なき、川の神。

1.法隆寺駅下車。お寺とは反対側。自転車で10分。歩いたらシンドイ。

2.奈良盆地を流れる複数河川の合流地点に鎮座。昔は沼地。

3.ここも春日写し。境内はそう広くはないが、静か。春先の砂かけ祭は摸擬田植え。

4.細長いが、参道を進むのが快い。但し、社頭近くまで車が入れるのは不敬。

 

宇太水分神社(奈良県宇陀市)は榛原駅からバス。途中、八咫烏神社の前を通る。

1.境内は狭いが、社叢の高さが救っている。
2.本殿三棟と摂社二棟が並ぶ。建物は朱を基調とし、蟇股と柱の彩色彫刻が素晴らしい。それぞれ国宝と重文。大和に多い、春日写し。
3.瑞垣内の拝観が可能。一人でじっくり拝見できたのは、有り難い。

 

大物忌神社(山形県遊佐町)は鳥海山山頂に本殿があり、吹浦と蕨岡に口宮がある。

1.鳥海山雄大だが、もう少し、頂角の鋭さが欲しい。
2.山形県内を移動すると、月山と鳥海山の風土的意義がよく分かる。
3.古文書の異例さは一大事の緊迫感を伝える。ところで、陸奥守義時は、将軍不在なのに、誰の意向を奉じたのだろうか。
出羽國両所宮修造事不
終其功之由神主久永訴申之
間去建保六年十二月為催促
雖被差遣雑色正家故右大
臣殿御大事出来之間正家不遂
其節帰参然而有限修造依
不可黙止為催促所被差遣
雑色真光也無懈怠可終其
功之状依陸奥守殿御奉行執達
如件
   承久二年十二月三日 散位藤原(光宗)奉
                  散位三善(康信) 
  北目地頭新留守殿

 
 
 

中宮祠(栃木県日光市)は登拝門が有り難い。

日光二荒山神社東照宮の隣り)の別宮。中禅寺湖畔に男体山を仰ぐ。

本社と異なり、尾三系キラキラ感は少ない。