三浦裕史のホームページ          新版『近代日本軍制概説』を刊行予定。

■近代日本の政治法制について関心があります。■2021年06月06日記事参照。

#神社仏閣名所旧跡

砥鹿神社(愛知県豊川市)は里宮から奥宮まで歩いて詣でてこそ。しかし、

やはり遠いので、車で上がる人が多いだろう。 本宮山の山容は、注意して望めば、秀麗と言えようか。 飯田線の一宮駅ではキップが買えない。

赤神神社五社堂(秋田県男鹿市)で「 な ぐ ご は い ね がぁ 」

「春先の男鹿半島でいうのは、こうもさびぇものが。拝殿がら九百九十九段登るでいうが、規則的な石段でねぁのに、どう数えだんだべが。」(秋田弁翻訳ツール使用) 社殿が横一列に並ぶのは壮観。

貫前神社(群馬県富岡市)は社殿も立派だが、やはり下り宮が貴重。

見下ろすと、いっとき不思議な気持ちが湧く。

眞名井神社(島根県松江市)は山容穏やかな茶臼山の中腹に在る。

1.国庁跡に近い田園の中、参道がまっすぐ山麓へ伸びる。 2.真名井は同じ山の離れた麓にあり、位置関係から考えて、当社は式内真名井神社がそのまま推移したものではなかろう。 3.境内はやや急な石段を上がる。木々が深い。本殿背後の斜面も緑豊か。やはり…

佐太神社(島根県鹿島町)には三種神紋を活かした頒布品をつくってもらいたい。

1.主祭神不明、南殿には秘説四座。明治初年、正殿の秘説一座の神名を示すよう藩庁から命じられ、「佐太御子大神」にしたと云う。 2.三連本殿は貴重。更に、南殿の向左階段は珍しい。 3.摂社田中神社は社殿配置が独特。 4.佐陀神能と関連神事は、わが国の…

東京よみうりランドの近くに式内社を発見――穴澤天神社(東京都稲城市)。

天神は元禄の合祀で、旧称は穴澤神社。 論社は存在するが、平地と多摩川を望む丘の中腹にあり、式内社の鎮座地として相応しい気がする。 しかし、直ぐそばを京王相模原線の高架が通る。それを潜って石段を上がり詣でる。

弟橘媛を祀る橘樹神社(千葉県茂原市本納)についての所感。

1.境内は狭いが、周囲に高い建物がないので、清々する。 2.社叢は浅いが、本殿背後の緑がやや救っている。古来、神陵と伝える。 3.神話は悲壮。 4.平安期設置の荘園名「橘木荘」は社名から取ったものか。 5.本納と言えば、徂徠勉学の地(と言っても、父…

男神社(大阪府泉南市)は社叢豊かで、遠くからでもそれとわかる。

1.平安時代に現在地に遷座。隣は小学校。「廊下を走るな」と言いたい。 2.戦前期建立の拝殿は単純な構造だが、なぜか重厚感がある。鳥居は渋い色にした方が良い。 3.本殿は江戸期の流造で五間が珍しい。もともと二間二間の連結社殿だったが相の間を神殿に…

溝咋神社(大阪府茨木市)は、住宅地の只中にある小社にしては、境内環境が整っている。

1.教習所近くのバス停から歩く。公園で親子が遊ぶ。 2.いきなり鳥居に出くわし、松などが並ぶ参道に入る。両側に住宅が迫る。直進すると、重厚感のある神門。両袖には随身が納まる。 3.社殿は商人が寄進したものらしく立派。周りには大木もある。 4.過去…

美保神社(島根県松江市・美保関町)の本殿は、比翼大社造ではなく美保造でよいと思う。

1.床下柱の存在や由緒・地域性から大社造と結びつけられがちだが、無理にそうする必要もあるまい。なぜなら、外見も内部も大社造の特徴を有していないからだ。 2.決定的なのは、神殿に正面を設けているということ(神座も正面向き)、更には神殿を並列連結…

聖神社(大阪府和泉市)は本殿の内部構造が珍しい。

1.鶴山台団地のバス停から歩くのが楽だが、旧熊野街道沿いの一の鳥居からの方が信太丘陵を実感できる。 2.信太明神と称される。本殿は慶長九年の造営で、近年、彩色がやり直された。重文。また拝殿が新しくなった。 3.本殿の内陣中央に宮殿が置かれる。願…

「コロナ騒ぎに際し門を閉ざした神社仏閣」を忘れないようにしよう。

いかなる理由をも超えて、宗教の役割を放棄したものと看做すべし。

福男は決まるまでが大変。神男は決まってからが大変。

神男は下旬に決まる。

国造家分立の観点から読む『大社町史』史料編(古代・中世)。

偽文書や存偽文書も混じっているだろうから、いろいろ興味深い。 *2016年11月13日記事「貞孝(56世)、脩孝(76世)の無念や想うべし」参照。 *2016年08月30日記事「北島家と千家家」参照。 →窓で検索!

高照神社 は吉川神道に基づくというが、

1.具体的に、どう基づいているのか、ヨクわからない。但し、 ●社殿配置が墓所も含め東西一直線であること、 ●本殿内部中央に宮殿厨子を設けること、 ●社殿から離れた位置に墓所(廟所)があること ●墓所において、墓の後ろに神号碑を置くこと(2参照) は…

出雲大社における両家分掌制の復活または宮司交代制の導入には、近代法の踰越を要する。

■2016年11月13日記事「貞孝(56世)、脩孝(76世)の無念や想うべし」参照■ 例えば、勅命(密勅を含む)によるとか。

「太郎山(2367㍍)は誰いうとなく孤独な山だといわれている。」

(荒川浩和, 1970)

神宮系神社でもないのに、神明造は興醒め。

神明造は維持管理が困難で耐久年数が少ないから、 往々にして破損汚損の社殿となりがち。

貞孝(56世)、脩孝(76世)の無念や想うべし―『北島國造家沿革要録』の読後感。

■2016年8月30日記事参照■ 1.いかなる配慮や遠慮、裏事情があるかは知らないが、妙に腰の引けた表現が見受けられる。 「世間一般では、とかく両家の本末を論じ、その黒白をつけたがる向きもあるようですが、このことは厳に謹まねばならず軽々に論じてはなり…

北島家と千家家―清孝の怨念によって国造家が分立したと言うべきか―『出雲国造家文書』に見る経緯

編者村田正志氏は研究者だからこそ、ハッキリとは言えなかった。資料を調査する便宜上、どちら側も敵に回せないのである。しかし― 1.現状では、千家家の完勝である。明治に入って、北島家が大社宮司職から排除された経緯を究明することが必要である。 2.…

菅浦が大浦と争った諸河・日指の狭さに一驚した。

他に田地皆無の菅浦側は必死だったのだろう。 昔は船で、今は車で、菅浦から現地へ出向き、田畑を耕していると聞く。

公知衆のことは出ていない―『改革と学問に生きた殿様―黒羽藩主 大関増業』

栃木県立博物館、2010年刊行の図録。史料豊富で大変充実した内容。 黒羽は現在、町村合併で栃木県大田原市に属する。 黒羽藩では、家臣の力が相対的に強く、殿様の強制隠居、持参金目当ての養子取り、一部家臣の藩退去など、話題は尽きない。 増業さんも千両…

辛國息長大姫大目命・忍骨命・豊比咩命という神名だけでも由緒が凄い…『香春神社壱千参百年史』(香春神社1300年史)の発刊を寿ぐ !

豊前の式内社は、ここと宇佐神宮だけ。 起源は古く、延喜式より遙か前、風土記に記述がある。最澄も渡唐の前に詣でたという。 悲願は一ノ岳復活だろう。削った分を積み上げるということ。中国の説話に愚公移山というのがあるが、気長にやれば、いつかは達成…

日蓮は、弟子や信者からもらった手紙をどうしていたのか。

日蓮の書いた手紙は、本物や写本で、数多くが伝えられている。 ということは、日蓮には弟子や信者から多くの手紙が来ていたはずだ。 しかし、そうした日蓮宛の手紙に関し見聞きしたことが全くない。

「長崎の都市景観は、常に対岸の色々なところから見られている。」

「大浦川の姿はもはや見ることはできない。両岸の町並みから消えてしまった本質的なものは、都市の秩序ではないだろうか。」 (下間久美子、2005)

昔、祇園の新門前に岩波という宿があって、

のりちゃん(のりこさん。博多出身)という仲居さんがいて、 場所柄、朝食だけついて、 かなり年配だった女将さんは一寸粋筋の感じがして、